大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2216号 判決 1980年4月30日

控訴人(原告)

徳見義人

外一名

被控訴人(被告)

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人徳見義人、同徳見ハルエそれぞれに対し、各金八九八万一六五二円及び内金八一七万一六五二円に対する昭和四〇年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めるとともに、仮執行宣言は相当でないと述べ、仮にその宣言が付された場合の申立てとして仮執行免脱の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、援用及び認否は、次の二以下に掲げるほかは、原判決事実摘示(ただし、原判決書四丁裏初行ないし六丁裏三行目の摘示を除く。)のとおりであるから、これを引用する。

二  控訴人ら代理人は、

1  被控訴人の安全配慮義務違背に関する従前の主張につき、「佐野士長は、本件事故当時、その職務上徳見修身がその中で勤務している施設ないし器具に該当する本件事故車を管理する責任を負つていたのであるから、車両の運行管理及び乗車者に対する安全配慮の責任者として、正に被控訴人の安全配慮義務の履行補助者というべきである。」と付加陳述し、

2  原判決書四丁裏初行ないし六丁裏三行目に摘示されている従前の主張に代えて、別紙準備書面(五)(写し)のとおり陳述した。

三  被控訴人代理人は、右控訴人らの1の主張に対し、「佐野士長は、車両を直接運転する操縦手として当然要求される基本的な安全運転の義務及び乗車している者に対する安全運行上の注意義務を負つていたにすぎず、被控訴人の安全配慮義務の履行補助者であつたとする控訴人らの主張は失当である。」と述べ、同2の主張は争うと述べた。

四  当審における新たな証拠として、控訴人ら代理人は、甲第七ないし第一〇号証の各一、二、第一一号証、第一二ないし第一四号証の各一、二及び第一五号証(第一四号証の一、二及び第一五号証は写し)を提出し、証人田中義信、徳見哲及び徳見信治の各証言並びに控訴本人徳見義人の供述を援用し、被控訴代理人は、甲第七号証、第一二号証及び第一三号証の各二の官署作成部分の成立は認めるがその余の部分の成立は不知、甲第一五号証の原本の存在及び成立は認める、その余の右甲号各証の成立(第一四号証については、原本の存在及び成立)は不知と述べた。

理由

一  亡修身は、陸上自衛隊第一〇二建設大隊第三中隊所属の自衛官であつたが、昭和四〇年一一月二日右自衛隊の演習からの帰途、道を間違えた先行車にその旨を連絡するため同中隊所属の佐野士長の運転する本件事故車に同乗して進行中、同日午前五時一五分ごろ、本件事故現場(その地番については、成立に争いのない乙第一号証の五、六、九及び一六によれば一八二七番地先と認められる。)において、助手席側のドアを開けて顔を車外に出したところ、折から対向進行してきた自動車と衝突して脳挫傷の傷害を受け、同日午前五時四五分ごろ死亡したこと、本件事故は右のように未明に発生し、当時は霧雨が降つていたため、現場付近では視界が悪く、また、道路の幅員は約六・九五メートルで、佐野士長は道路中央付近を走行していたこと、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、国家賠償法に基づく損害賠償請求について考えるに、右争いのない事実に、成立に争いのない乙第一号証の五、六、八ないし一〇及び一五ないし一七並びに原審証人長池政彦及び佐野賢二の各証言を総合すると、次のとおり認定することができる。

すなわち、本件事故は、前記演習の帰途道を間違えた他の三両の車両を引き返させるため、本件事故車が追いかけ、まず一両目の車両を追い越した所で亡修身が右側ドアから右手を出して同車両に停車の合図をし、次いで二両目の車両を追い越した後、県道が緩やかにカーブしている地点で亡修身が右車両に停止の合図をするため右側ドアを開けて身を乗り出したところ、対向車(大型トラック)が道路の中央から右(本件事故車の進行方向からすれば左。なお、中央線が設けられていたかどうかは、明らかでない。)の部分にまで突然進出してきて、本件事故車と至近の間隔で擦れ違い、その際亡修身の頭部を激突強打して同人を振り落とし、そのまま当て逃げしたものであること、右対向車も本件事故車も、当時前照燈はつけていたが、特に減速ないし徐行はしておらず(両車の具体的な速度は、明らかでない。)、また、本件事故車は、後方車に停止の合図をする必要上道路の中央付近まで車を寄せてはいたけれども、なお中央から左の部分をサイレンを鳴らしつつ走行していたところ、本件事故が発生したものであること、操縦手の佐野士長は、事故発生前、亡修身に対し「危いですよ。」と声をかけて注意を喚起したこと(対向車の前照燈に気付いて注意したのか、修身が身を乗り出しすぎていたので注意したのかについては、右証人佐野はよく覚えてはいないと証言し、この点は現在においては定かでない。)、右演習からの帰隊に際しての本件事故車の輸送等の任務は、亡修身を指揮官とし、その指揮監督の下に佐野士長が車両の操縦に当たつていたこと、以上の各事実を認めることができる。成立に争いのない甲第五号証の三には、本件事故車が時速約五〇キロメートルで走行していた旨の記載があるけれども、当時事故車はなお先行している自衛隊車を追い越して引き返すように合図をする必要があつたのであるから、それに必要な速度で走行していたことは推認できるが、その速度が時速約五〇キロメートルであつたことまで具体的に言えるかどうかの点で右記載は必ずしも採用し難く、ほかには、右認定を左右すべき証拠はない。

右認定の各事実に照らして考えるに、本件事故は、通行区分を突破して当て逃げをした対向車の過失に起因することが明らかであり、たまたま亡修身が後方車に停止の合図をするため身を乗り出していたところへ右対向車が擦れ違つた際に発生した不幸な出来事といわなければならない。問題は、右対向車の過失のほかに本件事故車操縦手佐野士長にも過失があり、これが競合したものであるかどうかということになるところ、まず減速ないし徐行しなかつた点であるが、右認定のように対向車が通行区分を突破して入つてきたのであるから、減速ないし徐行していてもなお本件事故発生は避けられなかつたものと認めざるを得ず、したがつて、この点では、佐野士長に過失ありとすることはできない。次に、佐野士長が本件事故車を極端に左側に寄せて走行していたならば本件事故を避け得たものと認められないではないけれども、通行区分を突破して自車の進路に進入してくる対向車のあることまで予見した上で自車を極端に左側に寄せて走行すべき注意義務はないものと解するのが相当である。もつとも、事故当時は未明でその上霧雨が降つていたため視界が良好でなかつたことは前記一に説示したとおりであるが、このことから直ちに右の注意義務ありと断ずることはなお早計である。すなわち、右の注意義務を肯定するためには、互いに近付いてくる両車の位置関係や当該道路の状況その他当時における諸般の事情を総合して検討しなければならないところ、事故後既に十数年を経過し、当時の証拠書類が廃棄され(この点は、成立に争いのない甲第五号証の二により明らかである。)、関係者の証言も記憶が薄くなつている現時点においては、結局証拠不十分とするほかはない。なお、右認定のごとく一両目の車両に合図をしたのと同様に、二両目の車両を追い越した所で亡修身が右側ドアを開けて停止の合図をするであろうことは、佐野士長に十分予想されたものと認めるに難くはないけれども、正に右の合図をするために本件事故車を中央付近まで寄せて走行する必要がありそのためサイレンを鳴らしていたのであり、また、亡修身が身を乗り出したのに対し佐野士長が「危いですよ。」と声をかけて危険防止に努めているのであつて、こられは右に認定したとおりであるから、この点で佐野士長に注意義務違反ありとすることもできない。

ところで、成立に争いのない甲第五号証の三によれば、佐野士長は、本件事故につき、義務上過失致死に当たるとして罰金四万円の略式命令を受けたこと、その理由は、要するに当時霧雨が降つていて視界が利かない状況であつたから、自動車運転者としては適宜徐行するとともに道路左側を進行しもつて事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つたというのであることが明らかである。しかしながら、徐行の点が理由になり得ないこと、及び霧雨のための視界不良というのみでは極端に左側に寄せて走行しなければならない注意義務を認め難いことは、いずれも右に説示したとおりであるから、右略式命令所掲の理由に関する限りにおいては、当裁判所は、その判断に賛同することができない。ほかには、佐野士長の過失を肯認するに足りる事情を認めるべき証拠がないから、結局、同人には過失がなかつたことに帰着する。

したがつて、控訴人らの国家賠償法に基づく損害賠償請求は、理由がない。

三  次に、安全配慮義務不履行に基づく損害賠償請求について考えるに、本件事故の具体的局面において乗車者の安全配慮に努めるべきいわゆる履行補助者に該当する者は、本件事故車の指揮官たる亡修身(この点は、右二で認定した。)自身ではなかつたかという疑問もないわけではないが、この点はしばらくおき、現実に車両を操縦していた佐野士長も右の履行補助者に当たるとしても、問題は、同人が本件事故車の運行管理に際し危険防止の義務を尽くし、亡修身ら乗車者の安全配慮に努めたかどうかということであり、結局のところ同人の結果回避義務違反の有無の問題と同一に帰着する。そうすると、国家賠償請求の原因としての同人の過失の有無と異なるところがなく、現に、控訴人らが安全配慮義務違反として主張する具体的内容も、佐野士長の右過失にほかならない。ところが、同人に右過失のなかつたことは前示のとおりであるから、右過失を前提とする安全配慮義務違反に基づく控訴人らの損害賠償請求は、理由がない。

四  以上のとおり控訴人らの本件各請求はいずれも失当たるを免れないところ、右の各請求を棄却した原判決は、その理由はともかく、結局において相当であるから、民訴法三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例